8つの要素の「内向倫理」とは?タイプごとの違いとあわせて紹介するよ。【Fi】 | いざよいブログ
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8つの要素の「内向倫理」とは?タイプごとの違いとあわせて紹介するよ。【Fi】

アイキャッチ:内向感情(Fi)の色々な顔を紹介!~変わらぬ絆、それとも…?~ ソシオニクス

今回は、ソシオニクスを理解する上で重要な8つの要素(情報要素)から、「内向倫理」を解説していきます。「内向倫理」とは、ヒトとヒトの間の主観的な関係を捉える見方で、人間関係の構築や道徳教育などに役立ちます。

8つの要素の「内向倫理」とは?

8つの要素は、情報要素(information elements)とも言い、それぞれのソシオタイプのものの見方の違いを理解する上でとても重要です。

今回は、「内向倫理(Introverted Ethics)」について解説します!

なお呼び方はさまざまあり、特にネット上の性格類型ファンコミュニティでは、MBTIと揃えて「内向感情」、それを略した「Fi」と呼ぶことも多いです。

「内向倫理」のいろいろな呼び方
  • 内向倫理(Introverted Ethics)
  • 内向感情(Introverted feeling)、内向F、内F、Fi
  • 関係性の倫理、道徳的な倫理
  • relatio(≒関わるrelate, 関係relation)、R
  • 白の倫理(白は内向のカラー)
※太字は当ブログ・レッスンでよく使うもの

内向倫理とは?

内向倫理は、ヒトとヒト(あるいはヒトとモノ、モノとモノなど)の主観的な関係にかかわっています。人間関係を平和に維持するには、一定のモラルが必要です。そのモラルを理解したり作り出したりするのが内向倫理のはたらきです。

内向倫理の解釈(一例)
  • 人間関係を築いたり保ったりする。
  • 道徳的な善悪の観点から、人や行動を評価する。
  • 人と人の間の引力/斥力(惹かれ合い/遠ざけ合い)を理解する。
  • 人がひそかに抱いている思い・望み・関心を察する。

こういう頭の使い方・考え方をするときは、あなたの中の内向倫理がはたらいているときです!

内向倫理のキーワード

内的な調和、個人的な感情における協和ないし不協和、共感、同情、思いやり、支援、非難、判決、肯定的・否定的な情動の空間

内向倫理のシンボルマーク

シンボル:内向倫理(白抜きの欠けた四角形)
内向倫理

内向倫理のシンボルマークは、白抜きの欠けた四角形)です。欠けた四角形はカッチリした理屈への拒否を、白抜きは「主体の内部の空間」=「内向」をあらわします。

内向倫理のバリエーション

内向倫理の強弱

どのタイプも内向倫理を通した見方・考え方をします。ただしそれを得意とするタイプと、苦手とするタイプがいます。得意か苦手かは、当ブログでは強弱であらわし、以下のようになります:

内向倫理の強さタイプ
★★★★(強い)内向×倫理型(SEI、IEI、ESI、EII)
★★★☆(やや強い)外向×倫理型(ESE、EIE、SEE、IEE)
★★☆☆(やや弱い)内向×論理型(LII、LSI、ILI、SLI)
★☆☆☆(弱い)外向×論理型(ILE、SLE、LIE、LSE)

内向倫理が強いタイプ(例:ESI)は、好意的な人間関係を維持し、悪意は見逃さないでしょう。逆に内向倫理が弱いタイプ(例:SLE)は、「モラルがない」と叱られてしまったり、恋人の気持ちを疑ってしまった経験があるかもしれません。

モデルA×内向倫理

さらに詳しく。各タイプが内向倫理をどのように使っているかは、モデルA8つの機能のうち、どこに内向倫理があるかで決まります。

モデルAは、ソシオニクス創始者のアウシュラ・アウグスティナヴィチューテさんが発明したモデルです。このおかげで各タイプの性格の違いや、考え方のプロセスをシステマチックに考えることができます。

機能ごとに、強弱(得意か苦手か)や価値(好きか嫌いか)が決められています。

表にまとめるとこの通りです:

ブロック 内向倫理を持つ機能 強弱 価値 ソシオタイプ
自我
主導する機能
★★★★ ESIEII

創造する機能
★★★☆ SEEIEE
超自我
規範の機能
★★☆☆ LIILSI

脆弱な機能
★☆☆☆ ILESLE
超イド
暗示される機能
★☆☆☆ LIELSE

動員する機能
★★☆☆ ILISLI
イド
無視された機能
★★★☆ ESEEIE

証明する機能
★★★★ SEIIEI

自我ブロック×内向倫理

画像:自我ブロック

モデルAの1行目は自我ブロックです。そのタイプの個性やアイデンティティをあらわす部分です。自分でも上手に扱うことができ、価値を感じており、意識しています。

自我ブロックには、主導する機能(第1機能)創造する機能(第2機能)があります。

主導する機能×内向倫理:ESIとEII

主導する機能×内向倫理は、ESIとEIIです。は、人と人(モノ)の間の関係の中で生じている感情に非常に敏感です。このFiという才能は、この2タイプにとってはアイデンティティであり、人生の要です。

第一に、自分の中にある変わらぬ倫理観と、自分も含めた人と人との間の安定した関係性によって、現実を捉えます。そのような関係性は、自分の倫理観によって格付けがなされます。他人の倫理観やモラルの質とその一貫性を評価することに非常に自信があります。このために、そういった評価をあまりしない人々には、「一方的に批判してくる」「独善的」な人とうつります。人間関係の格付けが難しいときは、結論を出そうとして行動を起こすでしょうが、なかなか結論が出ない場合は、その関係には大した価値がないのだとみなすでしょう。自分の倫理観そして人との関係において、自分自身が持っている変わらないという感覚が、自己価値の強い要因になっています。

主導するFiは、相手が敵か味方か、それが善意か悪意か、相手が自分を好いているか嫌っているか、を即座に見極める能力を秘めています。

Introverted ethics – Wikisocion

はたから「一方的に批判してくる」「独善的」と思われるほどには、自分のFiに基づく評価に絶対的な自信を持っています。こうした自信は、①主導する機能らしいと言えます。

創造する機能×内向倫理:SEEとIEE

創造する機能×内向倫理は、SEEとIEEです。この2タイプも、関係性を作ることに秀でています。

人間関係を感じ取ったり、作ったり、維持したりすることがとても得意です。しかし、このような関係は固定的なものというよりは、むしろ状況に応じて変わる流動的なものだと思うことがよくあります。このタイプの人たちは、自分の①主導する機能の認識(※SEEならSe、IEEならNe)という文脈で、他の人たちとの関係を作ることに焦点をあてようとします。

Introverted ethics – Wikisocion

先ほどのESIとEIIが、変わらぬ関係を捉えるのに対し、SEEとIEEは、状況によって関係は変わることもある、という見方をします。また、関係を作るのは、あくまで主導する機能の目的を達成するためのサポートです。SEEなら、自分の影響力を強めるために人脈を広げるかもしれません。IEEなら、新しい可能性を追求するために仲間を作るでしょう。

好意や受容を表現することで、人との間に親密さや関係を築くことが簡単にできます。

しかし、その場で表現された感情は、変わらぬ(個人的な)感情を表現しているというよりは、むしろ状況によって変わるものです。仮に自分の気分や場の状況が変わったら、即座にその感情の「栓を閉めて」、親密な関係を築いた相手のことも忘れてしまうかもしれません。

同上

「栓を閉めて」という比喩にも、創造する機能のオン/オフが激しいという特徴があらわれています。彼らは、自分の好意を率直に表現しますが、気が変わることも多いです。

超自我ブロック×内向倫理

画像:超自我ブロック

モデルAの2行目を超自我ブロックと言います。義務感や社会規範にかかわります。価値を感じないし苦手意識が強いですが、見栄を張ったり褒められたがったりします。

超自我ブロックには、規範の機能(第3機能)脆弱な機能(第4機能)があります。

規範の機能×内向倫理:LIIとLSI

規範の機能×内向倫理は、LIIとLSIです。

人間関係の存在と重要性を認識しているので、相手のことをよく知らないうちは気分を害さないように気を付けます。怒らせてしまうリスクを最小限にするべく、ポリティカルコレクトネスのような今日の社会規範を、いくらか単純化しながらも忠実に守ります。しかしやり過ぎるとストレスを感じます。というのも自分が本当にやりたいこと(Ti)は、自分が当座の問題や状況についてどう考えているのかを正確に表明することであり、周りも自分を無神経だと非難するよりは自分の素直さを評価してくれるだろうと期待しているのですが、このFi的な警戒心がそれを抑えつけているからなのです。相手のことをよく知るごとに、この警戒心はだんだんと消えていきます。

Introverted ethics – Wikisocion

内向倫理の重要性はわかっているのですが、人に言っていいこと・悪いことなど、理解がだいぶ大ざっぱなところがあります。怒らせないよう気を遣いますが、こうした配慮は本位ではないため、続けるとストレスを感じやすいです。

脆弱な機能×内向倫理:ILEとSLE

脆弱な機能×内向倫理は、ILEとSLEです。内向倫理にもっとも懐疑的です。

このタイプの人たちは、ふつう人間関係のニュアンスに注意を払いません。だからはっきりと定義されていない関係においては、その人との関係を過度に疑ったり逆に過度に信じ込んでしまったりします。こうした人間関係は、お互いの客観的な利益につながるときほど重要視します。人間関係それ自体に価値があると考えるというよりは、お互いを楽しませたりお互いの目標を達成させたりすることが重要な焦点と考えるのです。このタイプは、自分の気持ちを積極的に察してもらったり心配してもらったりすることを他人に期待していません。だから、自分に直接的な影響がない限り、人の気持ちを気にかける意味がわからないと思っています。言葉や行動で感情が表現されなければ、個人的な気持ちが反映された他人の言い分は、このタイプの印象には十分には残りません。「はっきりと非難はしていなかったけど、相手から見たらあなたの行動は非道徳的だったかもしれない」ということをそれとなくほのめかされると、このタイプの人たちは困惑します。機転を利かさずにこういったほのめかしをされると、簡単に片づけてしまうか、攻撃的に反応します。

Introverted ethics – Wikisocion

この2タイプは、人と人との間の感情的な結びつきを疑っています。むしろ人間関係はお互いに利益があるかどうかが大切だと思っており、そうした利益に直接影響しないなら、自分の感情も他人の感情も気にかける必要性を感じません。

深い感情を表現することには、それをするのが相手であろうが自分であろうが、気まずさを感じます。彼らは、自分の本当の気持ちを相手に負わせることを、自分の「権利」とは思いません。それは、他人の本当の気持ち(たとえ明るくて純粋なものであっても)がどれだけ自分にとって不快であるかを知っているからであり、そして彼自身、本当の気持ちを表現することが苦手だからです。

同上

内向倫理を重視するタイプは、自分の感情に基づいて行動する権利があると考えますが、ILEとSLEについては、自分の感情で行動したがりません。そうしようとすると、どうしても「気まずさ」や「不快」を感じるからです。

超イドブロック×内向倫理

画像:超イドブロック

モデルAの3行目を、超イドブロックと言います。無意識で苦手だけれども価値を感じていることなので、何でも鵜呑みにしたり人任せにしたりしやすい部分で、自分の望みや自己実現にかかわります。

超イドブロックには、暗示される機能(第5機能)動員する機能(第6機能)があります。

暗示される機能×内向倫理:LIEとLSE

暗示される機能×内向倫理は、LIEとLSEです。内向倫理的な見方には自信がないかもしれませんが、深い感情によって結びついた人間関係や、自分の感情がありのままに受け止められることを強く期待しています。

このタイプの人たちは、親密な人間関係を渇望しています。そういった関係の中で、信頼感に包まれながら、自分の個人的な体験を気軽にわかちあったり、言葉にしなくてもお互いにわかる感情や倫理観によって関係を持続させたりしたいと思っているのです。このタイプは、最初の一歩なら踏み出そうとするのですが、そのような関係が存在しているのか、あるいはそのような関係にはどういった格付けがされるのか、を正しく評価することに自信がありません。そのため、曖昧さのないはっきりした人間関係を重視している人や、はっきりした倫理原則に従っていて信頼感があり、彼らの目から見ても信用に値すると思える人に対して、魅力を感じます。

Introverted ethics – Wikisocion

彼らは、親しい人間関係を期待してはいるものの、自分では人間関係のニュアンスがわかりません。そのため「はっきりした人間関係」や「はっきりした倫理原則」を持っている人を信用し、憧れます。

この人たちは、相手が友達なのか敵なのか、自分に向けられている感情が好意なのか悪意なのか、をよく考えないところがあります。そのかわり、たいていの場合は、その人についての事前知識に基づいて、あたかも最初から友達/敵であるかのように行動します。そのせいで友達を敵と間違えたり、敵を友達と間違えたりすることになってしまうのです。他の人が自分にどんな感情を抱いているのかは少しずつしか認識できるようにならず、感情を言葉ではっきりと伝えてもらい、十分な期間、その伝えてもらった感情をはっきりと行動にあらわし続けてもらえない限りは、いつも疑いが残ってしまいます。人間関係についてもすぐに不安定になり、気持ちは変わっていないよと常に人から安心させてもらわねばなりません。

同上

人間関係を誤解しやすいため、裏切りに怯えているかもしれません。スキならスキと、イヤならイヤと、思っていることは「はっきり」言ってもらい、さらに「はっきり」行動で示してもらわないと、なかなか信じることができません。

このタイプは、人に自分の個人的な感情(「○○さんって本当に面白いよね」や「大好き」など)を伝えることを恥ずかしがりますが、人から言われると、まるでサプライズを受けたかのように良い反応を示します。そのかわり、他人のふるまいに筋が通っているかどうかをよく見ています。

同上

自分から好意を示すのは恥ずかしいですが、人に言われると喜びます。ただし、その言葉が本心かどうか、行動を見てチェックしようとします。

動員する機能×内向倫理:ILIとSLI

動員する機能×内向倫理は、ILIとSLIです。深い感情で結び付いた人間関係に憧れます。

お互いの信頼感と理解に基づく安定した人間関係を築き、自分が秘めている深い感情と経験を気軽にわかちあいたいと願っています。しかし、この人たちはそのような関係を築いていく能力に欠けており、他人の方から合図を送ってくれるのを期待し、またそういう人たちにうっとりします。脆弱な機能にFeを持つことに関して、このタイプの人たちが、感情をただ黙って「理解してくれる」ようなパートナーとの絆を、特に価値あるものとみなしているということは強調しておくべきでしょう。

Introverted ethics – Wikisocion

この2タイプもまた、人間関係を築くことが得意ではありませんが、信頼できる人間関係を願っています。ただし、LIEとLSEと違うのは、感情を激しく表現したりされたりすることによりいっそう強い苦手意識があることでしょうか。彼らが求めているのは、あくまで好意や理解を伝えてもらうなど、自分が人間関係を築くためのサポートです。

イドブロック×内向倫理

画像:イドブロック

モデルAの4行目を、イドブロックと呼びます。自分の基盤や防衛本能にかかわる機能です。扱いは得意なのですが、大した価値を感じておらず自覚も薄いです。

イドブロックには、無視された機能(第7機能)証明する機能(第8機能)があります。

無視された機能×内向倫理:ESEとEIE

無視された機能×内向倫理は、ESEとEIEです。自分の感情を重視しません。

この無視されたFiは、関係の格付けを反映した合図を、感情表現という形で送り合わないくせに、2人が深い絆で結ばれているなんて状態はありえないという懐疑心や、そういった関係を固めてしまうことへの抵抗感として表されます。たとえば、はっきりとお互いに愛情を表現せず、むしろ人前で感情を抑制し続けているようなカップルを見たら、このタイプは、「愛がない」あるいは生ぬるい関係だと見なそうとするでしょう。

Introverted ethics – Wikisocion

この2タイプは、人間関係が独立して存在するとは考えません。「恋人」とは、好きだと伝え合うからこそ「恋人」なのであって、「言わなくてもわかる関係」というのは単に「愛がない」か「生ぬるい」関係にすぎないと考えます。

このタイプは、人が別の人に抱いている個人的な感情について議論したり探究していったりすることを、理解はできます。しかし、こうした議論や探究は、同じ状況下で人の感情がどのような状態なのかに焦点を合わせることに比べると、あまり面白くないし無意味なことだと思います。

同上

彼らにとって、好きとか嫌いみたいな個人的な感情を深めていくことは、「面白くない」「無意味」なことです。むしろもっと焦点をあてるべきは、たとえば楽しいとか悲しいとか、感情がどのような状態であるかのほうだと考えます。

証明する機能×内向倫理:SEIとIEI

証明する機能×内向倫理は、SEIとIEIです。ESEやEIE以上に、人間関係や個人的な感情に敏感でありながら、そういったものを軽視します。

このタイプは、たとえはっきりと表現されなかったとしても、2人の関係性の中に生じている相互作用をすぐに理解できます。しかし、集団の中で色々な人と広く交流することに比べれば、2人の関係性がどうとかいう話は重要ではないし、面白くもないものだとみなしがちです。さらに、人間関係は、静的なものというよりは状況に応じて変化する動的なものであると感じています。

Introverted ethics – Wikisocion

SEIやIEIにとって、人間関係や個人的な感情は、刻々と移り変わっていくもの。わざわざ気にかける意味を感じられません。

自分の内向倫理をチェック!

質問に答えてみよう!

自分は内向倫理をどれくらい使っているかセルフチェックしてみるのも楽しいですよ。以下はYermak(School of Systemic Socionicsの設立者)の質問集を訳したものです。ぜひセルフチェックに活用してみてください。

  • ここ最近で、周りの人々との関係がどう発展したかについて語ってください。
  • 「共感」とは何でしょうか? それはどのように示されるべきで、どのように示されるべきではないでしょうか? あなたならどのように共感を示しますか?
  • 社会には、人との間でのふるまい方や関わり方の基準があるでしょうか? あるなら、あなたはそれに従いますか? 関わり方の基準に従う必要が常にありますか? それはなぜ?
  • 何が道徳的で、何が不道徳と言えるでしょうか? あなたはどのようにこれを理解しており、他の人たち(多数派)はどのようにこれを理解していますか? あなたは自分の理解が正しいと判断できますか?
  • あなたに対してはっきりとネガティブな態度をとってくる人がいます。あなたはどう反応しますか? あなた自身は、人に対するネガティブな態度を本人に見せることができますか? もしできるなら、どのように? 人に対して悪い扱いを長いことできますか? 侮辱を許しますか?
Анкетирование и требование к вопросам | School of System Socionics

おまけ:管理人の回答

管理人IEIの回答(一部)を挙げておきます。自分で回答したあと、見比べてみると新たな発見があるかもしれませんね。

なおIEIの場合、内向倫理は証明する機能。強い機能ですが、価値を感じていない機能です。自分のどの機能に内向倫理があるかによって、以下の管理人の回答の受け取り方は異なるはずです!

「共感」とは何でしょうか? それはどのように示されるべきで、どのように示されるべきではないでしょうか? あなたならどのように共感を示しますか?

回答例
回答例

勝手に相手と同じ気持ちになった気になって、勝手に味方になったように感じる行為、くらいに考えている。なので共感の示し方…でいえば、一番大事なのは、バイクや車と同じでブレーキだと思っている。つまり、「実際には同じ気持ちではないかもしれない」「相手からすれば迷惑かもしれない」「これはこの人のためにはならないかもしれない」と慎重に共感は示されるべき。そしてアクセル全開の共感はやめておくべきだと思う。事故りやすいから。私が共感を示すとしてもやはり「かもしれない運転」で、ブレーキは常に踏めるようにしておく。こんなふうに考えるのは、私自身がとても共感を暴走させやすい人だからだと思う。最初に書いたように「共感は勝手な行為」と思っておくくらいじゃないと自制できなくなってしまう気がする。

社会には、人との間でのふるまい方や関わり方の基準があるでしょうか? あるなら、あなたはそれに従いますか? 関わり方の基準に従う必要が常にありますか? それはなぜ?

回答例
回答例

ふるまい方や関わり方の基準はあるし、それなりに従っていると思う…が、従う必要がいつもあるとは思っていないのかも? 理由はん~関係を深めるために一歩踏み越えないといけない場面があるからかな…? たとえば「職場の同僚」として相応しい接し方は確かにある。が、お互いがその接し方をマジメに守り続ければ、たとえ2人が内心では「もっと仲良くなりたい」と思っていたとしても、一生「同僚」から進展することはない。関係を進展させたければ、お互いが「同僚」の基準を少しずつ(繊細に)違反していく必要がある…みたいな。背徳的でいいですね。

あなたに対してはっきりとネガティブな態度をとってくる人がいます。あなたはどう反応しますか? あなた自身は、人に対するネガティブな態度を本人に見せることができますか? もしできるなら、どのように? 人に対して悪い扱いを長いことできますか? 侮辱を許しますか?

回答例
回答例

繰り返されたくないので、その場でネガティブな態度を本人に見せる方ではあるかも。状況にもよるが、睨む、露骨な無視、泣きながら責める…など、こちらのネガティブな感情が伝わりやすい&「罰」として有効な程度に痛みを与えられるような手段をとるよう心がけているかも。皮肉は言わないようにするとか。長いこと続けられる(もちろん、好んではやらない)。侮辱は、ずっと覚えててもムカムカして不健康だと思うけど、忘れてしまえばイヤなヤツから自分や人を守れないから、忘れるのではなく頭の中の引き出しにしまっておく感じにしてる? そして許してるのかそれは? 少なくとも「もう許したし怒ってない」より「怒ってないだけで別に許してはいない」の方が自分っぽい。

ある意味、回答にとても苦戦しました。書きたいことが時間がたつと変わってしまうから、一向に完成しない。強い「証明する機能」らしい特徴かもしれないですが、自分ではあんまりわからないものですね。疲れました。

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