宵のつれづれシリーズは、仕事帰りの電車の中で読めるくらいの軽い記事を書きたいなということではじめたシリーズです。今回は第61回、ESIの袋小路です。
ESIの袋小路
前回は、「チャンスの花びら」というタイトルで書きました。
(IEI夫からすれば)チャンスでしかないような状況で、IEI夫の提案を「自分がされたくないことを人にするな」という自分の道徳的なポリシーに反するものとして、はなから拒絶したESI妻。
チャンス(外向直観)をとるか、道徳的なポリシー(内向倫理)をとるか……。ESIの心のなかでは優先順位は決まっています。
道徳的なポリシーに反するチャンスは追いかけたくない。
チャンスだからといって、悪いとわかっていることをしたくないということ。そんなことをすれば反感を買い、周りの善い人たちから嫌われるだろう。チャンスなんて本当にあるかも疑わしい。そんな信用ならないものに賭けて、ただ悪い人間関係と罪悪感だけが残るなら、そんな不快なことはない。
ESIのモデルAから推測される価値観は、こんな感じですか…?(聞くな)(ESIの優先度は、主導する機能×内向倫理>>>>脆弱な機能×外向直観、ってことが言いたい)。
ただ前回言った通り、チャンスに賭けることを避けすぎてもダメなんだよな、ということは、ESIの方なら心当たりがあるかもしれない。
前回のESI妻なら、あるかもわからないチャンスに賭けて失敗した挙げ句、たとえば周りの人たちの信頼を失い、歌手として二度と活動できなくなってしまうことほど、嫌なことはない。
でも、ESI妻がずっとチャンスに賭けることを避け続けたとしたら。歌手活動を大きくしていけるような新しい試みへの提案をすべて拒み、今の自分のスタイルを貫き通したとしたら…。

今年はライブ開催ちょっと無理そうなんだよね…。あの店長が全然シフトいれてくれないから別のバイト探しててさ…。あいつ、お気に入りの女子大生ばっか優遇してて本当に気持ち悪い。女子大生もかわいそう。はり倒したいわ。
限られたファンによるささやかな売上と、自分のバイト代だけでは、遅かれ早かれ、歌手として活動を続けることはかなり難しくなったことだろう。
結局、どちらにせよ歌手としてのキャリアを断念せざるを得なくなる。チャンスに賭けてもダメ、賭けなくてもダメ。そういう袋小路に陥りやすいのが、脆弱な機能であったりします。
※ひよこちゃんのセリフはイメージです。