宵のつれづれシリーズは、仕事帰りの電車の中で読めるくらいの軽い記事を書きたいなということではじめたシリーズです。今回は第64回、IEIが立ち去る時です。
IEIが立ち去る時
前回、IEIの口だけアドバイスについて書きました。
これまで、チャンス(外向直観)をとるか道徳的ポリシー(内向倫理)をとるかという、ESIの究極の二択について、ずっと話題にしてきました。
さて、ESI妻に対して、チャンスだチャンスだとしきりにすすめていたIEI夫。彼は、この二択についてどのように考えているのか。
そして、ESI妻による拒絶を、どのように受け止めたのか。

それは……やめとこ。向こうもいい気しないでしょ。
これまで触れてきたように、ESIはチャンスvs道徳的ポリシーの二択で葛藤しません。
ESIは、ほとんどの場合でチャンスを見逃す(というか初めから見ていない)のですが、だからこそ、自分にとって大事な道徳的ポリシーのために、チャンスを大胆に切り捨ててしまえるから(これは、脆弱な機能×外向直観。この脆弱な機能の大胆さは、人によっては「おもしれー」になるのである…)。
一方、IEIは違います。IEIの目には、チャンスが嫌でも飛び込んできてしまいます(無視される機能×外向直観)。だからESIほど大胆にチャンスを切り捨てることは難しいです。
しかも! IEIは、ESIと同じくらい道徳的ポリシーにも敏感です。だから、道徳的ポリシーのほうを切り捨てることもできません(証明する機能×内向倫理)。もしIEIがIEIではなくILEであれば、道徳的ポリシーを大胆に切り捨ててチャンスを追いかけただろう。
しかもしかも。IEIにとって、チャンスと道徳的ポリシーは、どちらも自分の安全に関わるものであり、ないと困るものです(証明する機能・無視される機能はイドの機能。イドの機能は身を守ります)。
だからIEIは、自分だけでなく仲間がチャンスを失ったり道徳的ポリシー違反を冒したりして危険な目に遭うこともゆるしません。仲間が危険な目に遭えば、それだけ自分も危険に巻き込まれるリスクが高まるからです(もちろん、IEIだけじゃなくてどのタイプもそうだよ!)。
実際、IEIにとって、チャンスを無視しまくって「ツイてない負け組」的な烙印を押されるのも、非道徳的に振舞い反感を買って「嫌われ者」になるのも、どちらも危険なことです。IEIは「チャンスに恵まれた道徳的な人(良心的な人)」だからこそ、他の色々な短所がなんとか誤魔化されているわけで、それを失えばだいぶえらいこっちゃです。
そして仲間がそういうふうに振舞うこともまた、危険なことと考えるでしょう。だからなんとか助け舟を出そうとするのです。(イドは自分だけでなく仲間も守ろうとします)
その助け舟を拒まれるということは、目の前に「危険」があるのにどうしようもできないということです。
ESIの拒絶を受けたIEIは、次は感情に訴えかけようとするかもしれません。が、何にせよESIには効果がありません。ますますスン…とするだけです。

あ~~もったいないなぁ~!!(怒) そんなことばっかり言ってるから君はいつまでも――せっかく歌うまいのにさぁ!!(怒)

別に、自分が歌いたいように歌えてるんだからいいんだよ。
目の前の「危険」はどうしようもできない――そう悟ったIEIは、「危険」から逃れるため、ESIの下から去ることになるでしょう。

ESI妻をナメてくる音楽界の奴らが許せなかった。ずっと妻をかばってきたつもりだった。…でも冷静になると、妻も大概ナメられるような行動をとり続けているし、そもそも妻は僕にかばわれることを望んでもいなかった。ただの独り相撲じゃないか。とんだ無駄な時間を過ごしたものだよ。
これぞ、恩恵関係!…って感じなんですけど~~言いたいことはいっぱいあるんですけど~~話まとまらなくなってきたんでこのへんでSee you
※ひよこちゃんのセリフはイメージです。