宵のつれづれシリーズ、仕事帰りの電車の中で読めるくらいの軽い記事、というコンセプトではじめたシリーズです。今回は第86回、無視できなくなる機能です。
無視できなくなる機能
だいぶ時間経ってしまいましたけど、前回、「あえてXXしない」というスタンスは無視される機能ではないか、というご意見(?)に対して、私はそのスタンスは脆弱な機能でもとりうるよ、という返答をさせてもらいました。
脆弱な機能は弱い機能でありながら、本人は「やればできる」と頑なに信じていることもあります。だからこそ、「できないんじゃない。あえてやらないだけだ」と表明することもある、という話でした。
で、こう思った方もいるかもしれません。
「じゃあ、無視される機能と脆弱な機能の最大の違いは、自己認識が正しいか誤っているかなの?」
と。
つまり脆弱な機能が、
・(自称)やればできる
・(自称)あえてやらない
で、
無視される機能は、
・(本当に)やればできる
・(本当に)あえてやらない
……ってこと?
って。
ですがこれだと、自分のソシオタイプがよくわからなくなりそうです。
「自称」と「本当」の区別をつけるのは、難しいから。
なので違う切り口を提示してみたいと思います。
以前同シリーズ#60でも、無視される機能について書いたことがありました。
無視される機能は、普段は確かに「無視」している機能です。
でも「無視」というのは、「見えていない」ということとは違います。
見えているのに別に目もくれない、これが「無視」です。
そして、なぜ無視するのかは、それを見るよりも、自分がもっと見たいものがあるから。でした。
逆に言うと、「もっと見たいものがある」の気持ちより上回る強い動機があるときには、無視される機能の情報は無視されないのです。
具体的には、不安なとき、ピンチなとき、あるいは強く誘惑されたときです。
こういうときは、無視される機能の情報に引っ張られてしまい、本当はどうだっていいと思っていることも無視できなくなります。
それはなぜか。その情報に基づき行動するほうが、安全であると知っているからです(無視される機能は、自己防衛的に働く機能でもあるのです)。
脆弱な機能の「あえてね」と、無視される機能の「あえてね」の最大の違いは、まさにここであると考えます。
脆弱な機能の「あえてね」が、できないことを隠すための「やらない理由」なら、無視される機能の「あえてね」は、安全圏に留まらないぞ、という意志の表明なのではなかろうか。
たぶんねー。
