宵のつれづれシリーズ、仕事帰りの電車の中で読めるくらいの軽い記事、というコンセプトではじめたシリーズです。今回は第79回、理想的な監督です。
理想的な監督
前回まで監督関係の記事を書いていました。
その中でふと思ったことがありました。

なぜ選手は、監督の行動を「私のため」と思ってしまったんだろう?
……そこでふと思い出したのが、過去、「あんたのため」の機能について書いた記事です。
イドブロック(無視される機能・証明する機能)についての記事です。これは「あんたも私も含むみんなのため」のブロックだ(だからイドブロックから発される「あんたのため」は別に嘘ではない)という結論でした。
そしてイドブロックの中の証明する機能。無視される機能が、言葉で「みんなのため」を守らせようと働きかけるなら、こちらの証明する機能は、「みんなのため」を暗黙の了解として半ば強制的に守らせようとするものです(前回SEIが「過ちを水に流す」ことをお手本として見せたことを思い出してください)。
そして、ソシオニクスではもっとも「理想」とされる双対関係。ここでは、脆弱な機能と今挙げた証明する機能が理想的な相互の補い合いをするのです。
なので、双対関係では、脆弱な機能が暗黙の働きかけを受けることは、むしろ理想的に感じられる…ということになってきます。
そしてこの双対の理想的な証明する機能と、監督の主導する機能は、同じ情報要素を持っているので、一見すると似ているように見えます。
だからこそ、選手は監督に理想を投影してしまいやすい。選手は、双対が「みんなのため」ということで自分を強制的に動かすみたいに、監督もまた、「みんなのため」に自分を導いてくれているのだと感じてしまう。
そして、その「みんなのため」はきっと「私のため」でもあるのだと、自然と信じてしまうのです。



