宵のつれづれシリーズは、仕事帰りの電車の中で読めるくらいの軽い記事を書きたいなということではじめたシリーズです。今回は第60回、チャンスの花びらです。
チャンスの花びら
前回は、倫理的な葛藤について考えるために、ESIとIEIのエピソードを取り上げました。
おさらいすると、とある人気歌手のカバー曲をよく披露している歌手・ESI妻の話です。そのカバーしている人気歌手のライブに夫婦で行ったとき、人気歌手が自分たちの席の近くまで来たので、話しかけようと訴えるIEI夫に対し、ESI妻は話しかけないことを選んだ。…そんな流れでした。
どんな状況であっても、自分の道徳原則に反する行動はとるまいとするのが、ESIです。

でも、自分がやられたら嫌でしょ。
これが、ESIの主導する機能の内向倫理(関係の倫理)で、もっとも優先する価値です。
……ところで、学生時代、好きで優先したい教科のテスト勉強だけして、苦手だしどうでもいい教科の勉強が間に合わなくて赤点だった…みたいな経験ないですか。
ソシオニクスのモデルAもそういうことがありえます。つまり、主導する機能がいくら大事だからといって、そこにエネルギーを集中させすぎると、脆弱な機能に注ぐエネルギーが残らなくなってしまう。
そしてたった1教科の赤点が足を引っ張るように、放置した脆弱な機能も足を引っ張ることになる。
ESIが、道徳原則を優先するとき、ESIの足を引っ張る「赤点教科」はなんでしょう。
外向直観。可能性の直観であり、潜在的な機会の直観。一言でいうと、チャンスです。
ESIは、あるかもわからない「チャンス」を追いかけることはしません(特にそれが倫理的によろしくないと判断した場合はなおさらです)。

生きてる世界が違うから。
かたや一緒にいたIEI夫は、チャンス○の男(※パワプロ)。
前回、人気歌手はステージから降りて、ESI妻とIEI夫の席に近づいてきました。これはチャンス○のIEI夫の目には、ESI妻に舞い込んだチャンスの花びらのように見えました。

ハッ…!!(天啓) ESI妻が”同じ曲を歌っている歌手仲間”として人気歌手に近づくことさえできれば、そこから縁が広がるかもしれない…! 多くの関係者やスポンサーと知り合いになれるかもしれない! 次のオーディションに呼んでもらえるかもしれない…!

ESI妻は歌も申し分なくうまいし、意志も強い、勇気も責任感もある! 人柄もいい(よすぎるくらい)!
IEI夫の計算では、あとは、ESI妻が、舞い込んできたチャンスの花びらに、勇気をもって手を伸ばすだけでした。タイミングはIEI夫が教えられる、と思いました。まだだ、今じゃない。あとちょっと。もう少しだ…。

ほら、もう来るよ!
ですが、ESI妻は手を伸ばすことをはなから拒否しました。これはIEI夫にとって予想外でした。
チャンスの花びらは、はらりはらりと舞い続け、そして地面に落ちました。IEI夫は、地面に目を落とし、汚れた花びらをただ見つめていました。
その間、ESI妻が花びらに目をやることは一度もありませんでした。
続きます。
※ひよこちゃんのセリフはイメージです。