宵のつれづれシリーズ、仕事帰りの電車の中で読めるくらいの軽い記事、というコンセプトではじめたシリーズです。今回は第85回、脆弱な機能は苦手じゃない?です。
脆弱な機能は苦手じゃない?
Twitter(X)で迂闊にしたしょうもない投稿、およびその助走としての投稿がプチバズ※してしまいました。※私のバズ判定は甘々である。
めっちゃ滑ったらいやだなとか思ってたけど意外とウケてよかった(?)。
ただ引用RTでは、「ぴんとこない」とか「『あえてね』は無視される機能じゃない?」という反応が結構ありました。
ちょうど前回・前々回と、脆弱な機能と無視される機能は出力が似ることがある、という話をしていたのでタイムリーでもあります。というわけで、ちょいとここで補足してみます。
まず脆弱な機能。文字通り脆弱で、「問題のある機能」「痛みを伴う機能」なんてふうにも呼ばれます。そこから、脆弱な機能を「苦手意識の強い機能」と大雑把に説明することも、できなくはありません。
ただ、「自分が苦手だと思っているかどうか」から脆弱な機能を探そうとすると、意外とわからない場合があるんじゃないか?(規範の機能とはそこが違うぜ)というのが、今回の投稿の趣旨でした。
というのも、前回・前々回でも触れたように、脆弱な機能はもっとも弱い機能であり、常に情報不足であり、適切な評価をすることがもっとも難しい機能です。
そして、その「適切に評価できない」という性質は、自分自身の能力を評価するときにも同じなんです。
つまり、脆弱な機能については、自分がどの程度できているのか、どの程度できていないのかという自己評価も、かなり歪んでいることがあります。特に、これまで叱られたり褒められたりと、誰かから評価を受けたことがない経験がない事柄については、なおのことそうです(脆弱な機能は経験からしか学べない1次元の機能です)。
そしてもうひとつ。脆弱な機能は、もっとも弱い機能であると同時に、もっとも価値を置いていない機能でもあります。なんなら、その情報そのものに嫌悪感を持っていることすらあります。これもまた、自己認識の歪みに拍車をかけています。
そのため、人から「これできる?」と聞かれたとき、必ずしも「苦手」と答えるとは限りません。むしろこう言い出すかもしれません。
できないというか、やったことない。
できないというか、やりたくない。
できないというか、そういう考え方が日本をだめにしていると思う。
でもできなくはないと思うし実際やればできると思うしでもやってどうするのと思うしだからあえてやらないあえてね。
……みたいなことを、本人は結構大真面目に思っていたりします。
というわけで、脆弱な機能でも「あえてね」は全然あり得ます。じゃあ、無視される機能の「あえてね」と何が違うのか。それはまた次回に。
