宵のつれづれシリーズは、仕事帰りの電車の中で読めるくらいの軽い記事を書きたいなということではじめたシリーズです。今回は第67回、働くベータです。
働くベータ
ストラティエフスカヤを読むとき、BGMがわりに垂れ流した『No No Girls』。
見ているうちに私まで『No No Girls』に参加した一員のような気がしてきて、ボイトレ教室の体験レッスンまで申し込んでしまいました。この記事が公開されているときには、私はボイストレーニングを受けていることでしょう…。
サイコーだ。
この番組の影響で、最近Twitter(現: X)でツイート(現: ポスト)したように、ちゃんみなの『WORK HARD』って曲にハマってしまいました。面白すぎた。いや、なんか、ベータ・クアドラの論理型、つまりSLEとかLSIっぽすぎる曲だなぁと思ったんです。
※ちゃんみながどのタイプかとかは知りませんけどね。
でも、なんでベータ・クアドラっぽいのこれが? って思われるかもしれません。
……というのも、この曲のサビ前~サビの歌詞ね。
みんなしすぎ勘違い
何にもせずに羨ましい
私もアレが欲しい
What can I do nowWORK HARD
甘くない人生は
WORK HARD/ちゃんみな
目を覚ましなよ now
何期待してんの how
自分の人生自分でやって
work work work work work work
I love it この 仕事
work work work work work work
大好き living for job
英語の部分、ちょっと、私なりに訳してみますね。
みんなしすぎ勘違い
何にもせずに羨ましい
私もアレが欲しい
私どうしたらいいのせっせと働け
甘くない人生は
WORK HARD/ちゃんみな, 赤文字は拙訳
目を覚ましなよ さあほら
何期待してんの よくもまあ
自分の人生自分でやって
働け 働け 働け 働け 働け 働け
大好き この 仕事
働け 働け 働け 働け 働け 働け
大好き 仕事のために生きるの
なかなかに火の玉ストレートの歌詞で、笑ってしまう。
働くことをテーマにした歌だということは一目でわかりますね。
さてさて、「働く」ということは、一般には外向論理(仕事の論理)に関わることと説明されます。
でもさっき私が言った、ベータ・クアドラって、外向論理に価値を置かないクアドラなんです。「仕事はバカを好む(работа дураков любит)」、これはロシアの皮肉なことわざらしいですが、ストラティエフスカヤがこのことわざを、ベータ・クアドラの価値観をあらわすものとして使っているくらいです。
そしてこの外向論理への軽視、ベータ・クアドラに共通するとある恐怖の裏返しでもあります。
つまり、誰かの言いなりで働かされ、奴隷のように尊厳なくこき使われ、そして体も心もボロボロにされ、最終的には使い古しの雑巾のように軽々しく使い捨てられることへの恐怖です…(ベータ・クアドラ・コンプレックス)。
……え、なんかおかしくない? 矛盾してない? と思った人いるかもしれません。そんなに働くことを低く見ているベータ・クアドラが、「働け」なんて言うかしら? むしろ「働かなくていいよ」とか言いそうじゃないの? と。
そうでもないということは、ベータ・クアドラの論理型(SLEとLSI)は、外向論理がイドブロックに位置するということで説明ができると思います。
イドブロックの機能は、自分だけじゃなくみんなの安全のための機能…というのは#64でも言いました。イドブロックの機能は、困ることがなければ別にどうだっていい機能。その点で、価値を感じない機能です。
でも、自分が困らなければいいというだけじゃなくて、仲間みんなが困らないことが大事。だから、仲間みんなと情報をわかちあうし、逆にみんなも参画していないとダメ。……そんなチーム戦の機能なんです。
今回のSLEとLSIの場合は、外向論理をみんなでシェアする、つまり「みんなで働ける」環境を作るということになってきます。
SLEもLSIも自分の仕事には自信があるから、仕事がうまくできない人でも、自分が指示したりその人ができることをやらせたり、サポートすればいい……と考えます。
そしてこうした取り組みによって、ベータ・クアドラの論理型は、みんなを主に2つの危険から守ろうとしています。
1つ目の危険。それは、みんな働かなくなってふつーにしぬこと。誰も飯作らない、誰も皿洗わない、誰も電気代払ってない、そもそも誰もお金持ってない、ってなったらそら生きていけないわけです。
もう1つの危険、それは「他の人を奴隷としてこき使い、かたや本人は働かない自称・ご主人様」が爆誕してしまうこと。これはベータ・クアドラにとってもっとも恐ろしいことです。
これらの危険ですが、みんながちゃんと働いていれば回避することができますよね。みんなが働いてさえいれば、自分ばかり働いていてバカらしいなぁとか、俺の労働力が利用されているだけなのではないか?とか、思うこともないわけ。
まとめると。ベータ・クアドラの論理型であるSLEとLSIは、みんなの命を守り、みんなの尊厳を守るために、人にも自分にも「働け」と言いますよ〜という話でした。