仕事帰りの電車の中で読めるをコンセプトにした、宵のつれづれシリーズ。今回は第39回目、ものさしのものさしです。
ものさしのものさし
エト…なんの話してたっけ…。『宵のつれづれ』が内向感覚の話ばっかりになってて興味深いゾ~という些細な話をしたかったつもりが全然着地しない(私の話あるある:なんかぼんやりと終わる)。今日は着地させたい。
前回は、規範の機能という自分の中にある判断基準=ものさしが時々あてにならないのではないか?という不安を覚えるという話をしました。
今まで信頼していたものさしが歪んでいたのではないか。それに伴い、そのものさしをあてがって下してきた評価もすべて間違っていたのではないか…。
こういうふうに自分の規範の機能のものさしに自信が持てないとき、自分のものさしと、信頼できる別の人のものさしを比べようとするかもしれません。
私はIEIで、IEIは規範の機能は内向感覚(カラダの感覚)。IEIは、行ったことのない飯屋で、味の評価に自信を持てず、こんなふうに相手の反応を待つことがあるかもしれません。私はめっちゃあります。
…このパスタ、美味しいよな…? え、美味しいのかな…? 「美味しい!」って言って「あんたってバカ舌なの?w」とか思われたら嫌だな…どうかな…?(チラッ
う、うまーーーい♪♪♪
美味しいよね!? 気に入ってくれてよかった~(バカ舌じゃないんだ~)
ですがそれでも時々不安になる。結局、その相手のものさしだって歪んでるかもしれない。と思うと、「この人の言うことを信用していいのかなぁ」と思うことになる。
この人の「うまーーーい♪♪♪」をあてにしてるけど、果たして本当にあてにしていてよかったのかな? 私はただ「美味しい」と思い込まされているだけなのではないか?
そういう思考に呑まれると、ものさしのものさしが必要になってきます。つまり「この人の内向感覚は信用できるなぁ」っていう自分の評価を評価するものが必要になる。
で、こういうときに私はソシオニクスを、今言った「評価を評価するもの」つまりものさしのものさしとして使っているんじゃないかなあと思うんです。
だから、上の例では、同居人LSIの内向感覚が証明する機能という高次元の機能であるとわかるだけで、安心を覚えるみたいなことがありえます。「自分が信用していた人を信用していて正解だったんだな、これからも信用していいんだな」と確認できるから。
うーーーーん…着地してないけど、長くなったから今日はこのへんで!
※ひよこちゃんのセリフはイメージです。