仕事帰りの電車の中で読めるをコンセプトにした、宵のつれづれシリーズ。今回は第38回目、あてにならないものさしです。
あてにならないものさし
なんでかしらんけど『宵のつれづれ』が内向感覚の話ばっかりになる件について。前回は、規範の機能が自分の評価の基準=ものさしを持ちますよという話をしました。
たとえば、LIIのものさしは、その人が「『自分がされたら嫌なことを人にしない』という倫理観を持ってる人かどうか」(内向倫理)でした。
LIIは、それを踏まえて人を評価していきますが、その評価は「鋭い!」というよりはむしろだいぶ大ざっぱ。常識的、マトモ、真面目…と言ってもいいかもしれませんが。
そう、こんなふうに。前回の例ややこしかったんで別の例にします。
アイツがあの人に「え、まだ実家なの? 自立しなよ(笑)」とか言ってて、あぁ…人の心がわからない人なんだなと思ったねぇ…。
貧しい家庭ゆえ実家暮らしを継続することを選んだ人を、「え、まだ実家なの?」と嘲笑うアイツ……ッ!!
親から仕送り20万/月もらっている分際で「自立しなよ(笑)」とかぬかすアイツ……ッ!!
それによって「実家暮らしの人=親離れできてない」⇔「一人暮らしのオレ=自立している」という自分に優位な構図を押し付けるアイツ……ッ!! ゆるせねぇ……!!
※実話をもとにしてますがフィクションです。
そんなアイツのことを、LIIは自分のものさしをあてながら見ています。そして、アイツの倫理観は基準以下!!と判定し、「人の心がわからない人なんだな」と、大ざっぱな結論を導き出したのです。
ですがこうした自分のものさしによる評価に、常に自信を持てているわけではありません。時々、自信が持てなくなる瞬間があります。
アイツのあの言動って、一般的には赦されることなの…?
自分のものさしは、あてにならないものさしかもしれない…そんな可能性に至ることほど恐ろしいことはありません…。
なぜって、そのものさしを信頼できる基準とみなして、自分や他人を評価してきたからです。でもそれが、すべて思い違いだったとしたら…。 「自分は人並みくらいだろう」も「あの人は尊敬できるなぁ」も「アイツはアカンわぁ」も、他の人から見たら全部真逆だったとしたら…。
次回こそは終わらせるぞこの話。
※ひよこちゃんのセリフはイメージです。