【日記】留年こわい――『大人のADHDパーフェクトガイド』の紹介もかねて。 | いざよいブログ
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【日記】留年こわい――『大人のADHDパーフェクトガイド』の紹介もかねて。

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日記というカテゴリを銘打つことによって、「読者のために」ではなく「自分のために」記事を書くことを許そうとしている。そして普段と異なる文体を許そうとしている。体系的な印象を与えるですます調は、私の無秩序で未分化な思考には本来フィットしないし、これから書く内容的にもそぐわないものだろう。

留年こわい。マジ無理。

大学卒業直前にまさかの留年発覚

去年、私は留年した。

確かあの日も、昼に起きて、布団の中で真っ先にTwitterをチェックしたんだと思う。タイムラインが同級生の卒業報告でいっぱいになっているのを見てはじめて、成績発表の日時を知ることになった。

まさか留年するとは思っていなかった。自分が“単位不足で留年する側の人間”であるとは思っていたが、それでも何だかんだ大丈夫だろうと高を括っていた。

卒論は、〆切30分前まで徹夜で執筆した。そして20分前に印刷して、15分前に製本。5分前に不備を知らされて半泣きになり、4分前に「ちゃんと確認しなきゃダメでしょ!今回はおまけ!」と怒られ、3分前に提出した。いつもギリギリで生きてきた。だから今回もギリギリ卒業できる気がしていたし、気にかかるのは、卒論の成績くらいだった。Cだったら恥ずかしいな…なんてことを呑気にも考えていた。

「私も流れに乗って卒業報告しなきゃな」という、その後の運命を知る者からするとあまりにも軽すぎるノリ。このノリにのって、あの日の私はベッドの上で学内サイトを開き、成績表にアクセスしたのだった。13時16分。

「原級」の文字を見たときは、エッ!?という声と、あと目玉が飛び出した。次いで笑いが沸き起こった。笑うしかなかった。

1留よりこわい2留

去年は進路が決まっていなかったから、正直、留年がそこまでこわくなかった。留年してもしなくても1年棒に振るのは同じだった。失うものは学費くらいだった。

しかし今年は違う。進路も新居も決まっている。そしてその進路のために結構な費用をかけたし、そのために身を削って働いてきた。だからこそ今年は留年がこわくてこわくてたまらない。失うものがあるだけで、留年がここまで恐ろしいものになるということには驚かずにはおれない。単位の計算もした。単位もちゃんととった。卒論も去年より良いものを早めに出した。卒業要件は満たしている。…満たしているはず。卒業できる…はず。この「はず」がどうしても消えてくれない。

1留より2留がこわい理由はまだある。1回きりの事象というのは、強烈に絶対性を帯びている。1回きりの事象においては、どの要素が偶然でどの要素が偶然でないかを判断することができない。2回、3回、…と事象を反復する際にはじめて、さまざまな要素が偶然的なものとして浮かび上がり、そして切り捨てられていくからである。そして私が事象の反復を恐れるのは、まさに反復によって偶然性がふるいにかけられていくためである。偶然とは希望である。たまたまと思えるからこそ絶望せずに済む。あの日はじめて行ったお店のチキン丼がめちゃくちゃしょっぱかったのは、たまたま手違いがあっただけかもしれない。きつく当たられたけど、たまたま相手の機嫌が悪かっただけ。留年したけどたまたまミスしただけ…。「だから次は大丈夫」。でも、次も大丈夫じゃなかったら?さすがに「3度目の正直」なんて希望に満ちたことはもう言えまい。「2度あることは3度ある」と言って絶望の海に漂う他はない。

「決定的瞬間」

話は少しかわるが、以前、BOOK・OFFで『大人のADHDパーフェクトガイド』という本を購入した。この手の啓発本にはあまり好感を持てず、よって今回もあまり期待していなかったのだが、読んでみるとなかなか面白い。

 本書では、まず、大人の注意欠陥多動性障害(ADHD)の特徴を紹介している。この特徴を、表紙左下にあるようにFAST MINDS(はやる心)というより包括的な概念によって再定義し、FAST MINDSが日常生活のどのような場面で問題となるのかをまとめている。そして、ADHD診断の有無に関わらず、FAST MINDSを持つ大人すべての参考になるような具体的なライフハックを紹介している。 

中でも、「決定的瞬間」という視点に触れている箇所は非常に面白かった。引用する。

物がゴミの山の中に埋もれてしまうのか、それとも、それがあるべき場所に収納されるか(例えばゴミ箱など!)、その運命を分ける決定的瞬間(運命の分かれ目、決断の時 Critical Moments)はどんな物にもあります。あなたの運命は、そうした決定的瞬間で行う習慣によって左右されます。(p122)

 MBTI脳なので真っ先に「外向Sかな?」と思った。なるほど私にとっての盲点である。

決定的瞬間は、あなたが良くない選択をするかもしれない瞬間の直前です。例えば、あなたが作業に取りかかる前に「これは私には無理だ」と考えてしまった場合、結局、その作業が実行されることはありません。あるいはプランナーをチェックする前に、ただその時思いついたことをしてしまう時、あるいは請求書を受け取ってすぐに支払う前に、雑然と積み重なった書類の山の上にそれをぽんと置いてしまった時などです。(p130)

決定的瞬間は、机の上が既に散らかった状態にある今ではありません。ファイルに保存すべき書類や処分すべき書類を机の上に放置した過去の瞬間です。(p134)

耳が痛い。私の留年が決まった決定的瞬間は、「原級」の文字を見たタイミングではなかった。それはもっと過去、つまり単位の計算をしなかったあの夏休みまで遡る。つまりは、私にとって決定的瞬間というのは思ったよりも早いタイミングで、しかも何食わぬ顔で、しれっとやって来ているものなのだろう。現にFAST MINDSの人はこの決定的瞬間を管理するのが困難だと言う。

 先週の土曜日の朝、彼はベッドでぐずぐずするという選択をしてしまい、決定的瞬間をうまく管理できませんでした。その無駄にした30分間に、アパートの地下にある共同の洗濯場に行っていれば空いている洗濯機を確保できたのですが、そのタイミングを逃してしまったがために、彼が地下に降りて行った時には既にすべての洗濯機が使用中になっていました。(p131)

このマイケルの例は、ぐずぐずと単位の計算を先送りにしたがために、いざ単位を計算しようと思ったときには学期末で、仮に単位不足を見つけたところでもはや取り返しがつかなくなっていた去年の私と重なる。私やマイケルは決定的瞬間を事後的にしか把握できないのかもしれない。

本書はさらに、この決定的瞬間をどうすれば掴みとれるのかについても詳細に言及しているので、FAST MINDSに悩んでいる方は是非読んでみてほしい。翻訳文で若干読みにくいのと値段が結構するのとがネックだが、内容はそれなりに充実していると思う。もう一度リンク貼っておく。

成績発表はついに明日。今日は寝られそうにない…。

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