「監督関係」、まるで母といたずら息子のような。 | いざよいブログ
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「監督関係」、まるで母といたずら息子のような。

今日は監督関係を訳してみました。私IEI(INFJ)で言うと、監督:LIE(ENTJ)、選手:ESE(ESFJ)になります。最後にも少し書きますが、私は「自分と相手の相性」から相手のタイプを割り出すのが一番わかりやすいなと思います。

当記事は古い記事であるため、内容や訳の誤り等がある場合があります。当面はアーカイブとして残しておきますが、以下の新記事をご覧くださいますようお願いいたします。

監督関係とは

モデルA

監督関係のペア

左:監督→右:選手の流れで、

  • ILE(ENTP)→LSI(ISTP)→SEE(ESFP)→EII(INFP)→ILE
  • SEI(ISFJ)→EIE(ENFJ)→ILI(INTJ)→LSE(ESTJ)→SEI
  • ESE(ESFJ)→SLI(ISTJ)→LIE(ENTJ)→IEI(INFJ)→ESE
  • LII(INTP)→IEE(ENFP)→ESI(ISFP)→SLE(ESTP)→LII

※()内はMBTI表記

概要

監督関係(監査関係、改訂関係)*1は、一方の監督(監査する人、改訂する人)が、他方の選手(監査される人、改訂される人)よりも心理的に強い立場にいるような非対称の関係です。この非対称性は、2人の心理機能の関係のために生じ、監督が自らの①主導する機能によって選手に心理的な圧力をかけることになるのです。典型的には、監督と接するときに、選手がいくぶん言葉遣いに慎重になるというようなことが挙げられます。この選手の先天的な慎重さは正しい条件を与えられると本格的な“監督病”へと発展します。2人の間に力の序列がない場合には、その慎重さは従順なレベルにとどまります。そして、2人はこの関係に元々ある境界を踏み越えることがありません。

2人の共通の話題は、大抵、選手の①主導する機能(監督の②創造する機能にあたる)に共鳴した監督によって見つけられます。選手が絶対的な価値として表明することは、監督にとっても価値のあることなのですが、より重要な追求の副産物としてみなされます。共通の話題は、選手の⑤盲点の機能、監督の⑥動員する機能を通してもまた見つかります。しかし、この領域に関してはどちらも疎いので、実際に一緒に追求しようとするよりはむしろ、その追求について議論するのみに留まる傾向にあります。

監督はいつも選手の発言や行動に興味を示しますが、同時に自分の①主導する機能の視点から修正・再編成をしなければならない気がします。こうして監督が選手の言動を再編成し主張を行うと、その変更点が選手の④脆弱な機能にあたることから、選手はしばしば不満を感じることとなります。もし選手が監督と議論を始めたら、両者の視点の違いは、監督が選手の思考や行動スタイルの“きず”を指摘するとき、すぐに個人的なものになります。監督は多くの場合、別に破滅的な非難のつもりでそういった批判をしているのではないのですが、④脆弱な機能という元々の繊細さがために、選手が破滅的な非難をされたと解釈するのももっともなことです。一緒に住んだら、選手は、監督の期待には決して応えられないこと、監督に心から認めてもらうことは決してできないということがわかるかもしれません。職場仲間や一緒に活動する友達の場合、監督は規律を守り、選手の弱点について見たままにコメントするのを避けなければなりません。

選手の居心地の悪さは完全にストレスになりうるのですが、一目見ただけではしばしば明らかになりません。そのことについては選手はいつも仲良い友達に話すことしかできず、監督に対して幼稚に聞こえないように意見表明するのは難しいと感じています。監督には選手が大袈裟に見えるでしょう。恋愛ムードになると、監督は選手の⑧禁じられた機能を魅力的に思うことが多いのですが、この機能の時々しかあらわにならない性質ゆえ、結局は不満に感じるでしょう。選手のほうはと言うと、監督のことは立派だと思っている一方、やや目まぐるしい人だなとも感じています。

監督関係①(by Bukalov, Boiko)

非対称な関係で、人を欺く非常に危険な関係です。一方は、社会的な監督者(監査する人)で、他方は非支配者(監査される人)(※ここでは選手とします。)です。この関係は、概して、監督が選手の行動にいつも不満を抱いているという事実によって特徴づけられます。選手が独創性を示したり考えを表現したりするとすぐ、監督から修正と非難にボコボコに打ちのめされるか、単純にしりぞけられるかします。同時に、選手はこういった非難をうちかえすことができません――監督が選手を抑えつけているのです。選手の側からすると、選手は監督のことを、不可解な理由でいつも不満そうにしている人、気難しく、せこく、怒りっぽい人というふうに見ています。選手はこのことに疲れて逃げ出したくなります。一方で、選手は多分監督はそんな悪い人ではないのだろうと考え、自分の癖を我慢します。しかしここに深い誤解があるのです。このような抑圧と管理において、監督は選手の知性を認めておらず、それが選手の心と機能に悪い影響をもたらし続けているのです。その結果、選手は様々なノイローゼや精神病になってしまうことがあります。わざと病気に逃げることもしょっちゅうです。身体は逃げ道を見つける――病気なら非難されない、というわけです。ぜんそくのような病気を取り上げるケースもあります。同時に、たとえ監督は選手を非難していても、選手は自分がいなければ機能できないだろうと信じており、選手に憐れみを感じます。この関係は、衝突関係とは異なり、縁を切るのは難しいのに有害な影響を及ぼしうるという点で、危険な関係なのです。

監督関係②(by Gulenko)

監督から選手への修正――方向喪失への恐れ

監督が選手よりも確実に優位であるという感じに支えられることで価値の感覚を得ることができるという点で、コミュニケーションは魅力的なものになります。選手側の無根拠な行動や主張は、本来の目的から逸脱していて受け入れられないものに見えるので、監督によって不本意ながら抑えつけられます。しかし、監督は選手が傷ついてしまうのを恐れてもいるので、色々言いたいのを我慢しようとするかもしれません。選手を助けたい、選手を大事にしたいと強く願っているからです。監督は自分の方向喪失を心配してそういう行動に出るのだと選手が理解できれば、選手は監督の望む方向へと振る舞いを変えるでしょう。もし監督が個人的な敵意を向けてきていると選手が誤解すれば、関係は破綻するかもしれません。

選手から監督への逆修正――方向喪失した干渉

監督からすると、選手の考え方や振舞い方はとても魅力的です。監督は選手から面白くて価値のある情報を得ることができます。しかし、その情報は不完全で、解明の必要があると感じられます。監督が選手からの情報に修正を加えると、いつも論争が始まり、その結果監督の批評が熟慮されるべきものとして受け取られることになりますが、それはすぐさまというわけにはいきません。選手が監督に対して厚かましく自分の意見を押しつけようとすれば、関係は終局します。しかし、この関係は一度築かれると、選手は、監督の得意分野についてアドバイスをこおうと接近するようになります。

関係の2つの特徴

外界からの影響が制限される場合に限ってバランスがとれます。そのときだけは、教育的な効果、つまり選手の内面を変えようとする監督の影響力が実現されます。外界から干渉があると、この関係は単純に耐えがたいものになります。

健全な2人の関係においては、監督も選手も相互の同意を無効にするような突飛で予測不可能な行動をとることはありません。真逆のふるまいはとても破壊的なもので、お互いの不信につながります。この関係においては、意見が一致していない問題について議論するようになりますが、そうしなければ問題が自分の内にたまっていきます。問題があると感じているのに無視しているとき、これは感情爆発の前兆なのです。

選手から監督へは、意見の論理的な方向性を強化します。選手は監督のふるまいにおける論理をコントロールしようとします。選手は非論理的な主張や行動を見逃しはしません。選手は、監督の理屈の間違いを見極めるため、監督の矛盾を暴く必要性を感じるかもしれません。

監督から選手へは、隠れた内的な感情があります。選手のふるまいを低く評価するにも拘わらず、監督は選手をたびたび許し、結局は選手の”再‐教育”を望みます。選手の行動を突然はねのけるのは、選手が恥を忘れて無節操に振る舞ったときだけです。監督は選手に同情と共感を感じています。監督は、選手の④弱い機能を激励したり抑圧したりするのですが、周到な計画をもってそうしているのではありません。

選手から監督へは、注意深くそして完璧であろうとします。選手は監督のふるまいの細部に大いに注意を向け、ほぼすべての歩みを観察し、監督についての正確な情報を収集します。この修正によって選手は成長しますが、一方で視野を狭めることにもつながります。

監督から選手へは、直観的に関わります。監督は個々の状況では選手の行動を管理できません。そのため、長い時間をかけてはじめて選手の内的世界に影響を与え、選手の信念や共通認識を改めさせることができるようになります。このような監査は物理的なレベルというよりはむしろ心理的なものとして感じられます。教育的な影響は、それがポジティブなものであれネガティブなものであれ、長い時間をかけないことには実現させることができません。

この関係は、安定した状態から別の状態へと移る痛ましい跳躍の過程です。監督は選手に対して自分と同じ価値観や振舞い方を押し付け続けるのですが、選手のほうはというとそれを頑なに拒みます。選手が監督に抵抗する方法は、実質的には変わりません。監督の決定や行動の粗を探すというわけです。この関係は、相手に対して最大限の寛容さと慈愛を必要とします。

選手に働きかけ影響を与える監督は、選手の内面を自分のイメージに合うように作り上げます。選手のほうは監督を(批判的ではあるけれども)高く評価しながら、監督と同じ内的資質に達成しようとします。相互にコントロールする過程の中で、2人は受け入れられる行動パターンを磨きあげます。この関係間での緊張は最高点に達し、しばし揺らぎを見せ、そしてはっきりと消えるのですが、これはこの関係が最終段階に入ったことを示唆しています――教育的な使命の完遂というピークを超え、2人のエネルギーが下降し始めたということです。

仲良くやっていくアドバイス

この関係は2つの方法で発展するでしょう。監督が選手より行動的で選手が監督に従う場合、この関係は教育的でためになる性質を帯びます。もし選手が監督に抵抗するなら、この関係は批判、管理といった性質を帯びるでしょう。

この関係は2人のやりとりが穏やかでバランスがとれているときに限って安定します。驚かせるようなことは避け、共同で1日の計画を練り、計画の変更があったら何でもお互いに通告しましょう。どんな問題であっても2人の間で直接はっきりさせ、感情を爆発させないようにしましょう。

選手が穏やかに分析をして結論を導けるようにするためには、監督は選手に辛抱強く情報を伝えなければなりません。もし選手が個人的なことで監督に相談をしたら、監督は選手を親切心をもってなだめ、困難な状況にある選手のふるまいを正当化してあげるべきです。監督は、自分が影響力をもつ空間において選手が関係を築けるように、選手を攻撃から守り、面倒を見ようとしなければいけません。

お互いへの批判的な態度を考慮にいれましょう。選手は監督を批判しますが、それは全体的にではなく特定の行動に対してであって、全体としては監督を許しています。対照的に、監督は選手の特定の欠点や行動を許してはいますが、全体的な選手の立ち位置や信念を批判します。

監督関係③(by Gulenko, Molodtsev)

この関係は、非対称な関係です。監督はまるで選手を監視し続けているかのように、選手の弱点に目をとめます。選手が何をどのようにしているのかを監督が解明したがっているような印象です。選手はしばしば、終始自分がモルモットのように観察されているような印象を受けます。しかし、これは監督が選手の欠点をいつも言葉で指摘するということを意味しているのではありません。選手は内心、監督はいつでも言葉で自分の欠点を指摘できるのだと感じていて、それゆえ、最初は監督の前にいると緊張してしまいます。監督は重要人物のように見えます。監督の行動のしかたは注意を向ける価値があります。選手は監督に認められたがり、褒められると大いに感謝します。

しかし、監督はいつも選手を過小評価し、選手の考えや行動はとるに足らないこととみなすので、それが選手の怒りを引き起こします。最初は、選手はこのことで励まされ、選手に自分の有用性を証明したがるかもしれませんが、すべての試みは失敗に終わります。監督は独りよがりでせこい人に見えます。自分の粗を探して、教育し直そうとするわけですから。選手は面白くて能力を秘めているように見えます。しかし、どこか欠けており、助けやヒントを必要としているように見えます。しかし、どんなアドバイスも役に立ちません。選手はそれを受け入れないし、それによって監督を逆に監督したいという欲望が高まるからです。選手はバカに見えますが、できないからではなく(実際にどうなのかということです)、単純に聴く耳を持たないように見えるからなのです。このため、監督は定期的に不満を抱きます。この関係は、監督が選手を「保護」する関係とも呼べるかもしれません。「保護」を受けて、選手はとてもイライラします。自分の脆さを感じ取ると、選手はこの、とりわけ他人をとりまく管理から逃れようと試みたがります。監督より一歩前に出て、監督と口論し、監督に指図しようとします。しかし、このような試みは何の意味もありません。基本的に、監督は腹を立てるのではなく、選手の再教育計画を継続します。この関係はよく「母親とわんぱくな子ども」のアナロジーで描き出されます。

時折この関係のカップルは、非常に固い絆で結ばれていることがあります。これは両者が社会的意義を感じることができるからです。つまり、監督は保護者や恩人として、選手が迷子になってしまわないようケアや指導をしてやるし、選手はケアを受ける対象として、ケアの価値を認識しているのです。ちなみに先生と生徒の関係においては、このような感情はほとんど表現されません。なぜなら先生は生徒を教育しなおそうとはしないからです。

まとめ

長かった。あとロシア語を英語に翻訳する過程で文法の破綻があるような気がします。和訳するのがなかなか大変で、ところどころ意味がわからない部分があります。

監督と選手の関係はまとめるとこうなるでしょうか。

  • 監督は選手を”買い”、自分の思い通りになるよう指導したがる。
  • 選手は神経質になって監督に何度も抵抗しようとする。
  • 監督は選手の抵抗を許して更に指導をしようとするので、関係は続く。

「監督と選手」という訳語は、かつてあった個人サイトから拝借していますが、この訳語の使用を続けるかどうか考えなければと思いました。悪い訳ではないと思うんですけど、どこか「選手」という語に別のニュアンスがまざる感じがして。途中にも出てきましたが、「母親とわんぱくな子どもmother-naughty child」のほうがイメージしやすい感じもありますよね。オカンとわんぱくなガキ…口が悪いですね。

ところで例の絶縁したLSE(ESTJ)氏に関して。私は他人のタイプを見極めるのは苦手でLSEとLIEどっちかな~と迷っていたんですけど、相性で考えるとすんなり理解できますね。LIEなら私IEIと監督関係になるはずですが、全くぴんときませんでしたから。この相性への敏感さは、私の強い⑧内向Fゆえかもしれません。ただ、それを無視して誰とでも仲良くしようとしてしまうのが悲劇なのかもしれませんね。色々思うところありましたが、長くなりすぎていますのでこのへんで。

*1:英語では監督する人supervisorと監督される人superviseeの関係。

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