宵のつれづれシリーズ、仕事帰りの電車の中で読めるくらいの軽い記事、というコンセプトではじめたシリーズです。今回は第78回、勧善懲悪のストーリーです。
勧善懲悪のストーリー
前回、選手EIEは、監督SEIのふるまいについにある違和感を覚えました。
「これは本当に私のため?」という違和感を覚えました。

……SEIは私のために言ってくれてるんだし……でも本当に私のためなんだったら……。
この違和感は、選手の無意識下でどんどん大きくなり、やがて無視できなくなっていきます。
これは無視される機能(観察する機能)の働きです。
無視される機能が受け取る情報は、自分としては正直どうでもいい情報です。ですが同時に、(見たくなくても)どうしても見えてしまうことでもあり、だからこそちょっとした違和感にも「妙だな…」と気づくことができます。
監督関係においては、選手の無視される機能は、監督の証明する機能を無意識に観察し続けることになりますが、そこである違和感をおぼえるのです。
前回の例でいえば、選手EIEの無視される機能は内向倫理(関係の倫理)です。これはストラティエフスカヤに倣うと、ESI系統の「裁く論理」で、要は善悪の基準をはっきりさせる倫理です。
この内向倫理を無視される機能に持つEIEは、どうしても善悪の基準でものを見てしまうし、そのせいで基本的には「悪」(と自分が思うこと)をなすことはできません。「善意」(と自分が思うこと)を踏みにじることなんて、もっとできません。だからこそ、どれだけ嫌でも、監督SEIから提供される食事や休息を拒むことができませんでした。
一方。監督SEI側の証明する機能も内向倫理ですが、こちらはEII系統の「赦す倫理」です。清濁併せ吞むというか、善か悪かで決めつけず大らかに慈悲深く受け入れる倫理です。
SEIは、証明する機能によって「赦し方」のお手本をみせながら、同時に人にも「人を赦しなさい」と暗に要求します。
同時に証明する機能は、かなりずる賢さも備えた機能です。もちろん絶対そうするわけではありませんが、SEIは「過去のことは水に流そう」と微笑むことで、自分の慈悲深いイメージをキープしたまま、同時に自分の「悪」を糾弾させないよう封じることもできるのです。

誰だって間違いはあるんだし、みんな仲良くしようよ~。
そしてある日、選手EIEは、監督SEIがそうやって水に流そうとした「悪」をついに発見するのです。

……あ、SEIちゃんだ。あの人たちは…別の演奏会の人たちかな?

……でね、またうちのEIEが怒り出したんだけど、「チョコ食べよー♪」で先制ガードしといた。でも昨日はあの帽子かぶってたからやばかった……。

でたあの変な羽ついてる帽子www笑いしぬwww

ギャハハハwwwww

しかも……それで……ww

……フンッ。
監督SEIからの食べ物も休息も厳しい言葉も、別に全く「EIEのため」ではなかったとわかります。監督SEIは、選手EIEの不快なリーダーシップを、手を変え品を変え妨害しようとしていただけでした。それは、EIEからすれば「悪意のある嫌がらせ」にほかなりませんでした。
つまり選手EIEは、無視される機能の内向倫理により、監督SEIの悪意を発見したということです。これは選手EIEとしては、好都合でした。これまで監督SEIを拒めなかったのは、善意を踏みにじることを恐れていたからですが、もうその心配もありません。
選手EIEはいまや、勧善懲悪のストーリーを手に入れたのです。
こうして監督SEIは、選手EIEにより「悪人」として追放されることになります。私の過去見てきたチームでも、こんなふうに追放されてしまいました。

SEIはメンバーから抜けてもらったのは、実は私の悪口を他のとこで言ってたの。私の悪口ってだけなら全然いいけど、内部情報もよく漏らしてたみたいで。一緒に活動するのは、信頼面で難しいなって。
※ひよこちゃんのセリフはイメージです。
※今回かなり穏やかな例を挙げたつもりです。が、ストラティエフスカヤ先生はそうはいきません(?)。この構造の説明のために、アレクセイ・ニコラエヴィチ・トルストイ(あの有名なレオ・トルストイの遠い親戚?)原作の『まむし(毒蛇/Гадюка)』という作品を挙げています。この作品では、「毒蛇」と呼ばれ忌み嫌われているEIE主人公が、最終的には「無害」でかわいいSEI女性をなんと銃殺します。映画化もされているようですが、小説だったら原文転がってますので、興味あれば読んでみてください。



