宵のつれづれシリーズは、仕事帰りの電車の中で読めるくらいの軽い記事を書きたいなということではじめたシリーズです。今回は第66回、ソシオタイプの決まらなさについてです。
ソシオタイプの決まらなさについて
タイトルをソシオタイプの決まらなさについてとしました。ところで、ソシオニクスのタイプの決め方って知ってますか?
ソシオニクスとよく似た理論のMBTIは、専門家に支えられながら自分でベストフィットタイプを見つける、って感じの流れ。
ですが、本場の(?)ソシオニクスはそうじゃないです。どちらかといえばイメコンと近いかな。ソシオニクス専門家によるタイピングを通じて、ソシオタイプを診断されるような流れが多いです。
MBTIはMBTIを通じて自己理解が深まることがやっぱり大事で、その理念と照らして考えるなら、自分が「あ、私、このタイプだ…!」と思えたタイプがあるなら、他人がどう思おうが「それでええんやで(^_^)」って感じがありますよね…。
私の考えでは、ソシオニクスのタイプだって別にそれでいいと思っています。でも、ソシオニクスそういう「自分がそのタイプだと思うならそのタイプなんやで」スタイルだと、なんか行き詰まることがあるんですよね。
というのもソシオニクスには、タイプだけでなく、タイプの関係があるからです。
たとえばね、自分のタイプを「これだ!」と感動的に大発見するとします。そこから、タイプの関係について調べるとします。そしたら全っっ然しっくりこないわけです。「えっ…やっぱりこのタイプじゃないのかな…?」と自分のさっきの「感動的な大発見」が、一気に勘違いに変わってしまう。その過程を楽しめているならもちろんよいのですが。
で、タイプにはしっくり来たけど、タイプの関係はしっくりきてない。こういうふうに感じられているくらいならまだ全然よくて。
もっと害なのは、しっくりきていないはずのタイプの関係を、無理に正しいのだと自分に言い聞かせてしまうことだとは思うんですけどね。
自分のタイプ・タイプの関係両方しっくりくるとめちゃくちゃソシオニクスって楽しいんですけどね。この楽しさをどうしたら上手に共有できるんだろうなあ、ということはいつも思っています。
とりとめのない回になりました。